ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。
信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
自分の田地を耕す者は食糧に飽きる、 無益な事に従う者は知恵がない。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。
もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。
もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。
実は、法に服さない者、空論に走る者、人の心を惑わす者が多くおり、とくに、割礼のある者の中に多い。
ある人々はこれらのものからそれて空論に走り、
あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
主はこう言われる、 「あなたがたの先祖は、 わたしになんの悪い事があるのを見て、 わたしから遠ざかり、 むなしいものに従って、むなしくなったのか。
キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。
わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。